バンブーズブログ

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【大谷翔平】

大谷翔平が直面する、けがから復帰・即プレーオフへの適応の難しさ

スポーツライター 丹羽政善
#拝啓 ベーブ・ルース様 #MLB #スポーツ
2026/10/12 5:00
 
9月下旬に復帰した大谷翔平だが、パフォーマンスは本来の姿からはほど遠い=AP
Baseball is ninety percent mental. The other half is physical.(野球は90%がメンタルだ。残りの半分がフィジカルだ)。

1940年代後半から60年代前半にかけて14回もワールドシリーズに出場し、5連覇(1949〜53)を含む10回のワールドシリーズ制覇を経験しているヤンキースのヨギ・ベラが残したとされる言葉だ。本人が「自分が言ったことは、すべて自分が話したわけではない」とも口にしているので面白おかしく伝わっているのかもしれないが、野球に限らずスポーツの世界におけるメンタルの重要性はいまや、論をまたない。

もっとも、大リーグでメンタルトレーニングが本格的に導入され始めたのは、ベラがその重要性を説いて20年以上たってからのこと。80年代になって、スポーツ心理学者のケン・ラビザらが先駆者となり、集中力の高め方やプレッシャーへの対処、失敗からの切り替えなどを選手に教えるようになった。ところが当初は「精神的に問題を抱えた選手のため」という偏見も強く、専門家に相談することをためらう選手も少なくなかった。

しかし、スポーツ科学やデータ分析が発達する中で、技術や身体能力だけでなく、持っている能力を試合で発揮するための「メンタル・スキル」という考え方が徐々に浸透。2010年代には多くの球団が専門スタッフや部門を設けるようになり、現在ではフィジカルトレーニング、栄養、リハビリなどと連携しながら、集中力、判断力、ルーティン、けがからの復帰などを支える上で、パフォーマンス向上の重要な要素として位置づけられている。

ドジャースでその役を担うのが、ブレント・ウォーカー氏。彼はコロンビア大で選手のメンタルパフォーマンスやウェルビーイングを担当した後、21年からドジャースのスキルコーチを務めている。その彼と先日、話をする機会があった。

実はその数日前、大谷翔平(ドジャース)が、「家の中にいる時間は多かったですけど、子供たちと接する時間が長かったので、あんまり暇な時間はなかった」と負傷者リスト(IL)期間について振り返っている。

「1人(独身)の時にあまりILに入ったことがなかったので、1人の時だったら、相当、考える時間も長いし、しんどかったのかなとは思う。いっぱい人がいたので、そこはだいぶ気持ちの面で違った」

この言葉をどう読み解けばいいのか。

ウォーカーコーチに尋ねると、「結局は『自分が今やっていることに本当に集中できているのか、それとも別のことばかり考えているのか』という問題になるが、家族との時間は、効果的な『気をそらすもの』にはなりうる」と教えてくれた。

「気持ちをそらすという意味では間違いなく効果がある。いったんそこから離れて、気持ちをリセットできるから」

 
ドジャースのロバーツ監督は大谷の状態が「100%ではない」と話す=共同
大谷は9月23日に復帰。とはいえ、本来の姿には程遠い。デイブ・ロバーツ監督は、「体に何か問題があるとは聞いていない」とはいうものの、「100%ではない」とも話している。では、まだ体の状態が戻り切らないことは、どうパフォーマンスに影響しているのか。

ウォーカーコーチは、「あくまでも一般論」と断った上で、復帰直後の選手に対するメンタルケアについて解説してくれた。

「けがに意識が向いている場合、一番大切なのは――特に実際にプレーするときには――意識を外側に向けること。自分の体に関することは、何も考えないように仕向けたい」

それは「メカニクスについても同じ」なのだという。「けがをしているかどうかに関わらず、プレー中に自分の体や動作について考え始めたら、いい結果を生まない」

そもそも故障から復帰するとき、「身体的には『復帰していい』と許可されていても、まだ本当の意味では『準備ができていない』ことがある」という。そこには2つの段階があるそうだ。

例えばひざをけがしたケース。①踏み込んでも、何も起こらないと自信を持てるかどうか。つまり、そのひざを使っても大丈夫だと確信できる状態②そのこと自体を完全に信頼して、無意識にひざを使えるかどうか――。

「そこまでいって初めて、また本来のプレーについて考えられるようになる。まだ『このひざ、大丈夫かな?』と考えている状態だったら、結果がなかなかついてこない。なぜなら、まだ意識がけがに向いているから。本来集中すべき相手投手や自分がやるべきことから意識が外れてしまっている」

しかし多くの場合、選手らは復帰を急ぐため、悪循環を招く。「まだ完全には患部を信頼できていないのに復帰して、頭の中ではずっとそのことを考えている。それがパフォーマンスに影響する」

患部をかばいながら投げていたり、大丈夫かなと心配しながら投げていたりしたら、自分の能力を十分に引き出すことは難しくなる。可動域を無意識に制限すれば、メカニクスが狂う。新たな故障を引き起こす可能性もある。

そんなとき、ウォーカーコーチは選手らにこう伝えるそうだ。「迷いながら正しいことをしようとするより、状態に確信を持ってプレーし、失敗する方がいい」

 
今の状態でできうる最高のスイングを模索している大谷だが、プレーオフが進み、残された時間は少ない=共同
では、大谷の現在地は? 

ドジャースとしてはもちろん、大谷の健康状態に不安がなくなってから復帰させたかった。しかし、プレーオフが迫り、あれ以上の時間をかける選択肢はなく、実戦でのトライ&エラーに踏み切らざるをえなかった。大谷は今の状態で可能な、最高のスイングを模索している。

そのアプローチが最適解なのか、否か。はっきりしているのは、さほど残されている時間がないということである。

今日は何の日

 

【10月12日】《スポーツの日》
国民の祝日。「スポーツにしたしみ、健康な心身をつちかう」ことを趣旨としている。2020年から名称が「体育の日」から「スポーツの日」となった。
 
この日が誕生日の著名人
伊藤美来
1996年
声優
涼風花
1985年
書道家
真田広之
1960年
俳優
この日が誕生日の著名人を調べる
 
 
この日の出来事
この日に起きた代表的な出来事を
5つ紹介するよ。

1987年(昭和62年)マサチューセッツ工科大の利根川進教授、ノーベル医学・生理学賞の受賞が決定。
1986年(昭和61年)東京・赤坂にサントリーホール開場。
1978年(昭和53年)西武ライオンズが誕生。国土計画がクラウンライター・ライオンズを買収。
1959年(昭和34年)日本が国連経済社会理事国に当選。
1928年(昭和3年)東京松竹楽劇部が設立。

【不動産登記簿とは】

不動産登記簿とは 取得経緯や担保の設定を記録

きょうのことば
#きょうのことば #マンション 不都合な真実 #建設・不動産
2026/10/12 1:30
▼不動産登記簿 土地や建物の所在地や面積、所有者の氏名・住所などを記載した公の帳簿で明治時代に始まった。どこにどのような不動産があり誰が所有しているのかを公開することで、不動産の権利関係などを誰でも確認できる。安全で円滑な不動産取引を支える役割を果たしている。

 
不動産登記簿は、所在地や面積などを記載する「表題部」と、権利関係を記載する「権利部」で構成される。権利部では、売買や相続によって不動産を誰が取得したのか取得の経緯がわかるほか、差し押さえの有無も確認できる。住宅ローンなどの借り入れの担保として設定される抵当権や債権額に関する事項も記録される。一方、登記簿からは過去の取引価格の履歴などの情報を確認することはできない。

法務局で証明書を取得でき、所有者本人でなくても交付を受けられる。全国どこの法務局でも請求が可能で、請求方法は法務局の窓口や郵送のほか、インターネットを利用したオンライン申請にも対応している。

春秋(10月12日)スポーツとは

 


#春秋 #オピニオン
2026/10/12 0:00 [会員限定記事]
10月の第2月曜が「体育の日」から「スポーツの日」と名を改めて6年たつ。そもそもスポーツとは何だろう。「人間の体を動かすという本源的な欲求」に応え、爽快感、達成感、連帯感など精神的充足を得る創造的な文化活動のひとつだと文部科学省は解説している。

▼米国の歴史学者、デイビッド・G・マコームは著書「スポーツの世界史」(邦訳はミネルヴァ書房)で「人間に運動への衝動が生まれつき備わっていなければ、スポー...

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その年、一九五二年十月から、阪神が猛ア...

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立命大入学

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阪急の西村正夫助監督が来校し、「阪急の二軍へこないか」と勧めてくれた。当時の南海、阪急などは、ファームで...

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大会優勝の平安に惜敗 「全国2位」と負け惜しみ

戦後間もないころの高校野球に対する熱狂ぶりは、ケタはずれだった。甲子園出場を果たした山城高は、各地の招待試合に呼ばれた。四国高松に高松商、高松一、平安、山城の四校が集結したときは、球場がはち切れんばかり。このとき戦った高松一の中西太君のスケールの大きさには、目を見張った。われわれは井の中のかわずだった。

単独遠征は、福井県武生市へよく出かけた。ある...