バンブーズブログ

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大谷翔平 戦力外となった日ハム同期入団選手の「一緒にメジャーに行きたい」を断った真意



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
4/17(月) 7:15配信



当初は日本のプロ野球を経由せずメジャーに挑戦する意向を表明していた大谷翔平(写真/共同通信社
 同じフィールドで戦う選手たちからも“雲の上の存在”として語られることの多いエンゼルス大谷翔平(28)。その比類なき「才能」と「努力」は見る者に夢を与える一方で、ともに戦う仲間をも“圧倒”してしまう現実がある。 【写真】大谷翔平と噂になった、狩野舞子のバレーボールウェア姿
「自信を打ち砕かれました」
「正直、野球だけでなく人格まで含めてすべてが凄かった。こいつには何ひとつ勝てないと思いましたよ。僕は一軍経験がないまま引退したけど、土俵がまるで違っていた」  そう語るのは、2012年にドラフト4位で日本ハムに入団した宇佐美塁大氏(28)だ。この年、日ハムがドラ1で強行指名したのが大谷翔平だった。  ドラフトの当時、日本のプロ野球を経由せずメジャーに挑戦する意向を表明した大谷の入団交渉が長引いていた。そのため、宇佐美氏と大谷が初めて顔を合わせたのは入団会見ではなく、新人合同自主トレだった。  そこで大谷の打撃練習を見た宇佐美氏は衝撃を受けた。 「まだ入団したばかりの高校生なのに、センターから逆方向のスタンドにポンポン放り込むんですよ。そんな選手は初めて見ました。僕は広島工高で通算45本塁打の記録を持っていて、“高卒ルーキーでは自分が一番だ”と思ってプロに入りましたが、翔平のバッティングを目の当たりにして自信を打ち砕かれました」  2013年のシーズン、大谷はルーキーながら開幕一軍入りを果たし、いきなり二刀流で活躍したが、宇佐美氏は二軍暮らしが続いた。  時は流れ、大谷がケガのリハビリ明けで鎌ヶ谷の二軍グラウンドで調整していた2017年、忘れられない出来事があった。 「フリーバッティングで勝負しよう」  大谷が宇佐美氏にそう持ちかけ、打席に入った。 「ケガ明けでどうなるかと思いながら勝負しましたが、翔平が打った打球は凄い勢いで飛んでいき、反対方向の防護ネットの上部に突き刺さった。余裕で負けました(苦笑)。あの打球は今も忘れられません」(宇佐美氏)
 同い年の2人は寮でともに生活し、電車に乗って食事や買い物に行くこともあった。しかし2017年オフ、大谷がメジャー行きを決める一方で、一軍経験のない宇佐美氏は「戦力外通告」を受けた。  その頃、食事に向かうタクシーの中で2人きりになったことがあった。そこで宇佐美氏は思い切って胸の内を明かした。 「どんなかたちでもいいから、オレも一緒にメジャーに行けないかな」  そんな切実な願いに対して、大谷はこう答えた。 「一緒に来ても自分の成績が変わるとは思わない。1人で挑戦したいんだ」  宇佐美氏が振り返る。 「続けて翔平は、『塁大も1人でやってみて。手助けが必要な時には協力できることは何でもするよ』と言ってくれました。翔平について行って海を渡るより、自分にできることを一生懸命やることが大切だよ、という意味だったと思います」  宇佐美氏は引退後、故郷の広島に戻ってカフェ&バー「BIG BASE」の経営を始めた。 「今も翔平の姿や言葉が心のどこかに残り、人間的な面で少しでも追いつきたいという気持ちがあります。僕は翔平と出会ったおかげで新しい景色を見ることができました」(宇佐美氏) ※週刊ポスト2023年4月28日号