バンブーズブログ

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「No Words」言葉もない イスラエル取材記

「No Words」~はてしない憎しみの連鎖 戦争と共に生きる人々【イスラエル取材記】
 
配信 2023年10月29日 10:50更新 2023年10月29日 15:51
日テレNEWS NNN

イスラエルパレスチナをめぐる情勢が緊迫の度合いを増すなか、戦闘の発生当初から現場に入った記者は、そこで何を見て何を感じたのか? 放送では伝えきれなかった現場発の“リアル”をお伝えします。
(NNNロンドン支局 鈴木あづさ)

 

 

ハマスの攻撃があった2023年10月7日をかたどったキャンドル。ヘブライ語で「言葉もない」と書かれている。

「言葉もない」
広場に置かれた無数のろうそくのそばに、ヘブライ語でひとことそう書かれたボードが置かれていた。ユダヤ人通訳は私にひとこと、「No Words」と訳してから、ろうそくの炎を見つめた。

 
今回の取材を一言で言い表すとしたら、これ以上にふさわしい言葉が見つからない。家族を殺された人、家族や友人を人質にとられたまま安否もわからずに眠れぬ日々を過ごす人、長年住んだ家を失った人、100人以上殺された虐殺の村を生き残った人――ともされた灯の1つ1つに命があり、家族や友人がいた。どんな言葉をもってしても言い表せない現実が、そこにある。

 

■「あなたはなぜ防弾チョッキを着るのか?」
ライフル銃を背にベビーカーを押す父親

私たちは、私は、知らなすぎた。家々にミサイルやロケットの被弾から身を守る「セーフティールーム」の設置が義務づけられている現実。すべての女性に2年間の兵役があること。広場でバイオリン弾きの奏でる音楽に合わせて踊る子どもたちの横に、ライフル銃を持ってフルフェースマスクをかぶった兵士がにらみをきかせている光景…。

警報が鳴っても、人々は決して騒がない。静かに黙ったまま、ただ足早にシェルターに避難する。決して「われ先に」と押し合ったり、駆け込んだりしない。女も、子どもも、老人も、いやおうなしに戦争に巻き込まれ、いつ落ちてくるともしれぬミサイルを心の片隅に置きながら生きている。この人たちは、戦争と共に生きているのだ、と思った。ずっとそうやって生きてきた。

ろうそくがともる広場で中継を終えると、「あなたはなぜここで防弾チョッキを着ているのか?」と男性2人組に聞かれた。「万が一の時に身を守るためだ」と型どおりの答えを返すと、彼らはふっと薄く笑って言った、「そんなもの、ミサイルから身を守ってくれはしない」。その通りだと思った。恥ずかしかった。

 
 

■突然の大音響…そこで見たものは?
エルサレムの旧市街 アルアクサ・モスクにつながる道で

イスラム組織ハマスが「怒りの日」と名付けた13日の金曜日。私たちは東エルサレムの旧市街にいた。ハマスが全世界に向けて、抗議行動を呼びかけた日だ。イスラム教徒が集団礼拝を行う金曜日は宗教心が高まりやすく、抗議活動や暴動が誘発されやすい。

イスラム教の聖地「アルアクサ・モスク」の周囲では緊張が高まり、旧市街への入り口はライフル銃を持ったイスラエル兵が固めていた。前夜、テルアビブから同行してもらったユダヤ人のスタッフに聞くと、「そもそも旧市街は(ユダヤ人が使う)ヘブライ語を話す人はほとんどいないし、ユダヤ人は襲われる危険があるので行けない」と首を振った。

代わりにアラビア語を話すパレスチナ人の通訳を雇った。すべてのものごとには、いろいろな側面がある。イスラエルの側から見ているだけでは分からない。

ユダヤ人スタッフの予感は的中した。私は中国特派員時代に何度も拘束され、直近ではウクライナ侵攻も、モロッコ地震取材も経験した。でも、今回の取材はまったく違う。頭上にミサイルが飛び、ガザ地区に近いイスラエル南部の地域では警報が鳴ってから15秒でシェルターに避難しなければならない。常に死の恐怖が身近にあった。

パレスチナ人コーディネーターとモスクに礼拝に来たパレスチナ人を取材していると、突然、パンパンパンパン!という大音響が響きわたった。周辺に配備されている大勢のイスラエル軍兵士たちがすぐさまライフル銃を構える。隣で誰かが「逃げろ!」と叫んだ。全員でちりぢりに走って逃げた。

 
ひたすら走って音から遠ざかり、仲間の1人はトイレに隠れた。もう大丈夫、というところまで逃げた時、そばにいたパレスチナ人が「あれは“スタングレネード”だから大丈夫だ」と言った。さらに問うと、“スタングレネード”とは「閃光(せんこう)手りゅう弾」のことで、大音響や光を発する非致死性の兵器だと教えてくれた。彼は「俺たちには銃も実弾もない。だからあんなもので、せめてもの抵抗の意思を示すんだ。花火みたいなもんさ」…丈の長い伝統的な衣装ガラビアの裾を直しながら、皮肉な笑いを浮かべた。

 

■焼けただれたブランコ…耐えがたい光景
ハマス襲撃の村、クファールアザの惨状

ガザ地区から最も近い虐殺が行われた村を取材すると、ぬいぐるみやサッカーのユニホームが銃弾を浴び、泥にまみれていた。布団からは綿が引きずり出され、庭のブランコは焼けただれ、玄関先におびただしい数の薬きょうが落ちていた。

庭先の小さな木のテーブルには、食べかけのクラッカーの箱がひしゃげた姿で残されていた。そこにあった人々の穏やかな生活が奪われた瞬間。耐えがたい光景だった。イスラエル軍の少佐は言った、「私たちは彼らを殲滅するためには何でもする。地上侵攻の準備はできている」。

人は圧倒的な現実を前にすると、言葉を失うのだと知った。虐殺の村を生き延びた人々は、今は避難民のために用意された宿泊所を仮の宿にしている。私はただマイクを相手に向けたまま、でくのぼうみたいに突っ立っていた。

 
それでも、彼らは話すのをやめなかった。涙を振り絞り、こぶしをふるわせながら、そこで何があったかを語り続けた。私は彼らに返す言葉を持ち合わせないまま、ただ一緒に涙しながらうなずき続けた。1人1人へのインタビューは、それぞれ何十分にも及んだ。

1人の女性に出会った。夫を殺され、家族の半分をなくした彼女は、私を見つけると寄ってきて、話を聞いてほしいと言った。避難所になっている宿泊所のロビーでソファをすすめると、「どこか静かな所に行きたい」と言った。

 

シェファイムの女性 インタビューを終えて

誰も使っていない、だだっ広い会議室のテーブルにつくと、彼女はいきなり泣き出した。夫のスマホに電話をかけ続けたこと。家に戻ると、玄関の外でスマホと一緒に夫が倒れていたこと。スマホには自分からの着信が何十件と残っていたこと。ハマスが乱射した銃の痕。燃やされた家々から運び出された数々の遺体…。

言葉がなくなると、彼女はまるで空っぽになってしまったような表情で宙を見つめた。立ち上がり、抱きしめた。自分の肩から嗚咽(おえつ)が聞こえる。初めて聞く声だった。体の底から湧き上がってくるような声。涙は後から後からあふれ、私の肩をぬらした。そして最後につぶやいた、「聞いてくれて、ありがとう」。互いに涙にぬれた目を交わし合った。質問らしい質問もできないままだったが、私は彼女の目に教えられた気がした。ただそこにいて、耳を傾けるだけでいい。そして、伝えてほしい、と。