…ウクライナ侵攻を泥沼化させたロシア軍の「最悪の行動」
2023年4月1日 12:00
PRESIDENT Online
ロシアがウクライナへの軍事侵攻を始めて1年がたった。なぜこの争いは長期化しているのか。慶応義塾大学の鶴岡路人准教授は「当初、ゼレンスキー大統領は停戦を求めていたが、ロシア軍が占領地でウクライナ市民を虐殺していることがわかった。このためウクライナは自国からロシア軍を追い出すまで戦わざるを得なくなった」という――。
※本稿は、鶴岡路人『欧州戦争としてのウクライナ侵攻』(新潮選書)の第一章『ウクライナ侵攻の衝撃』の一部を再編集したものです。
ウクライナのキーウで、フィンランド首相との会談後、共同記者会見するウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー大統領=2023年3月10日 写真=EPA/時事通信フォト
プーチンの思い通りにならなかったウクライナ侵攻
2022年2月24日にはじまるロシアによるウクライナへの全面侵攻は、世界に巨大な衝撃をもたらした。この戦争をいかに捉えたらよいのか。筆者自身、悩みながら情勢を追っていたら、あっという間に1年が経ってしまった。
『欧州戦争としてのウクライナ侵攻』(新潮選書)では、これまでの展開を踏まえ、この戦争の本質に迫ろうとした。1年間の中間報告である。
端的にいえば、この戦争は「プーチン(Vladimir Putin)の戦争」ないし「ロシアの戦争」としてはじまった。しかし、当初のロシアの計画どおりには進まなかったために、戦争の性格が次第に変化した。
ロシアによる誤算の始まり
2月24日のロシアによるウクライナ侵略開始以降、軍事作戦に関しては明確な段階分けが存在する。ロシアは当初、首都キーウを標的にし、ゼレンスキー政権の転覆を目指していた。数日で首都を陥落させられると考えていたようだ。
侵略開始からほぼ1カ月の3月25日になり、ロシア軍は、第1段階の目標が概ね達成されたとして、第2段階では東部ドンバス地方での作戦に注力すると表明した。
キーウ陥落の失敗を認めたわけではないが、実際には方針転換の言い訳だったのだろう。その後、ウクライナ東部さらには南部での戦闘が激しさを増している。そうしたなかで強く印象付けられるのは、ウクライナによる激しい抵抗である。
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ロシアがウクライナの抵抗を過小評価していたことは明らかだ。加えて、米国を含むNATO諸国も、ウクライナのここまでの抵抗を予測できていなかった。
ロシアの侵略意図については正確な分析をおこなっていた米英の情報機関も、ロシア軍の苦戦とウクライナの抵抗については、評価を誤ったのである。
以下では、こうしたウクライナ戦争の推移のなかでみえてきた大きな転換点として、ウクライナにとって停戦の意味が失われてきていることについて考えたい。
降伏したところで命の保証はない
命をかけても守らなければならないものがある。ウクライナの抵抗については、これに尽きるのだろう。
つまり、ここで抵抗しなければ祖国が無くなってしまう。将来が無くなってしまう。しかも、このことが、軍人のみならず一般市民にも広く共有されているようにみえることが、今回のウクライナの抵抗を支えている。
さらに重要なのは、抵抗には犠牲が伴うが、抵抗しないことにも犠牲が伴う現実である。
ロシアとの関係の長い歴史のなかで、このことをウクライナ人は当初から理解していたのではないか。
ロシア軍に対して降伏したところで命の保証はないし、人道回廊という甘い言葉のもとでおこなわれるのは、たとえ本当に避難できたとしても、それは強制退去であり、後にした故郷は破壊されるのである。