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市川猿之助、“遺書”をあてた俳優への“絶対的な信頼” 事件の数日後に明治座の楽屋に姿を見せる


配信 2023年5月25日 07:15更新 2023年5月25日 19:11
NEWSポストセブン

 物語のクライマックスは、自刃した平家の武将・平知盛が転生し、空へと羽ばたいていくシーン──白い衣装をまとった五代目市川團子(19才)は、演目の名そのままに、不死鳥のごとき姿だった。

 明治座(東京・中央区)で上演中(5月28日まで)の『市川猿之助奮闘歌舞伎公演』の昼の部「不死鳥よ 波濤を越えて ─平家物語異聞─」は、座頭である四代目市川猿之助(47才)の不在を、見事に團子が埋めてみせた。

「歌唱、立廻り、宙乗りと見せ場が多いことに加え、約2時間の演目中に衣装が10着ほど変わります。

 


 團子さんは、わずか1日しかなかった通し稽古でセリフと動きを頭に叩き込み、猿之助さんの代役を務め上げました。緞帳が下りると、満員の客席からはスタンディングオベーションが巻き起こり、すすり泣く声も漏れていました」(芸能関係者)

 香川照之(九代目市川中車、57才)の長男として2004年に誕生した團子は、2012年、父の中車襲名と時を同じくして、團子の名跡を受け継いだ。「團子」という名は明治時代、二代目猿之助が5才の頃、当時の市川團十郎に弟子入りした際にもらったものだという。

 当人は「“だんご”なんて嫌だ」と反発したという逸話も残る。以降、團子は「猿之助」→「猿翁」という、歌舞伎の名門・澤瀉屋名跡を継ぐ役者の幼名とされてきた。

 それだけに、当代の猿之助の穴を團子が埋めるという運命めいたものに、歌舞伎ファンは一層の拍手を送ったのだ。團子の活躍は、父である香川の評価さえ引き立てるものだ。しかし、それをもっとも望んでいなかったのは、猿之助本人だったのかもしれない──。

 猿之助が東京・目黒区内の自宅から救急搬送されたのは、5月18日の朝だった。同居していた父・市川段四郎さん(享年76)と母親(享年75)が亡くなった。

 歌舞伎史上最大の悲劇はなぜ起きたのか──。

 

◆解決に時間がかかる「5つの謎」

 通報があったのは18日午前10時過ぎ。救急隊が駆けつけると、自宅の半地下にあるクローゼットで、猿之助が意識もうろうとした状態で倒れていた。2階のリビングでは段四郎さんと母親が並んで仰向けで倒れており、布団が掛けられていた。母親はその場で死亡が確認され、段四郎さんは搬送先の病院で亡くなった。猿之助は搬送の翌日に退院した。

「両親の司法解剖の結果、『向精神薬中毒』が死因とされました。猿之助さんは警察に対し、“家族で死んで生まれ変わろうと話し合った”“両親が薬をのんだ”といった趣旨の説明をしており、一家心中をほのめかしているようです。

 


 ただ、両親はすでに亡くなっているので、猿之助さんの話が事実かどうか、現場検証などの証拠と照らし合わせて、警察が慎重に捜査しています。この事案には『謎』が多いことから、解決に時間がかかるかもしれないという見方もあります」(全国紙社会部記者)

 誰が大量の向精神薬を準備したのか。なぜ寝たきりだった段四郎さんが自ら薬を大量にのむことができたのか。なぜ薬瓶や薬袋が残されていないのか。なぜ段四郎さんと母親の死亡が数時間も違うのか。一家心中ならばなぜ両親はパジャマ姿だったのか──謎の解明にはまだ時間がかかりそうだ。

 18日は、弟子筋の歌舞伎役者や俳優、裏方スタッフに対する、猿之助によるセクハラ・パワハラ疑惑を報じた本誌『女性セブン』2023年6月1日号の発売日でもあった。自宅で倒れている3人を発見し救急に通報したのは、猿之助のマネジャー2人。そのうちの1人が、俳優としても活動する40代のA氏だったとされる。

「Aさんは猿之助さんから絶対的な信頼を得ていました。猿之助さんにぴったりついて身の回りの世話をするようになったのは、ここ2年ほどのことでした。地方興行のときなどは、ホテルで猿之助さんと同じ部屋に泊まることも多かった」(劇場関係者)

 猿之助の発見時、近くには“遺書”のような書き置きがあったという。スケッチ用のキャンバスに書かれ、壁に立てかけられた状態だった。

「そこには、猿之助さんの本名と一緒に《A 次の世であおう》といった趣旨のことが書かれていました」(捜査関係者)

 今回の公演中の5月中旬にも、A氏は猿之助と終始行動を共にしていた。公演終わりで猿之助が共演者らと買い物をしたり、食事に行った際にも同席するなど、その厚い信頼と親密さには、一介のマネジャー以上のものがあった。

「事件後、Aさんは親族ですら連絡がつかない状態になっており、失踪説も出ていました。ですが事件から数日後に、公演中の明治座の楽屋に姿を見せました。Aさんの父親も公演関係者だったことに加え、澤瀉屋のマネジャーとしての仕事もあったからでしょう。出入りにはかなり気を使い、警戒していたようです」(前出・劇場関係者)

 前述した“遺書”以外にも、猿之助は書き置きを残していたという。

「《自分の財産はAに相続させる》といった猿之助さんの意思が綴られていました。猿之助さんは未婚で、お子さんもいなかったですから」(全国紙社会部記者)