バンブーズブログ

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大谷翔平の1年 どう記憶されるのか


 
スポーツライター 丹羽政善
#拝啓 ベーブ・ルース様 #MLB #スポーツ
2023/10/2 5:00
 
試合前のセレモニーで表彰され記念写真に納まるエンゼルス大谷翔平。今季のチームMVPを受賞した。右端はネビン監督、左から2人目はミナシアンGM(9月30日、アナハイム)=共同
「この3連戦で、年間60本を達成するんじゃないか。そう思って、飛行機のチケットを取ったんですけどね。残念でした」

シーズン最後の3連戦初日。歴史の目撃者になれるのでは? と、開場する3時間以上も前から球場を訪れていた日本から来た女性は、2カ月近く前に、この3連戦に合わせて仕事の休みを取り、航空券と試合のチケットを買った。

「もう、今季の試合には出ない、と聞いたときは、頭がクラクラしました」

いまは笑って話せるが、円安のいま、出費は半端ではない。

「一目見られれば、それだけでいいんですけど……」

しかし、9月19日に手術を受けた大谷翔平エンゼルス)はその日、球場に姿を見せることはなかった。

 
大谷が出場しなくなっても、エンゼルスの本拠地には連日のように多くの日本人ファンが駆けつけた(9月29日、アナハイム)=USA TODAY
大谷が出ないと分かっていても、連日のように三塁側内野席は、多くの日本人ファンで占められている。仕方がない。もう、何カ月も前から予定し、そのためにお金もためてきたのだ。決して、安くはない。ピークシーズンは過ぎたとはいえ、おそらく往復航空券は15万円をくだらない。ホテルは1泊、安くても1万5000円を超える。1回の食事の値段は、日本の倍以上。

ただ、「翔平を一度、生で見てみたい」と、アメリカに来たことのなかった70代の方の背中も押した。そう決意させるだけのインパクトを大谷は前半だけで残したのである。

3月に行われたワールド・ベースボール・クラシック。宮崎合宿には参加せず、名古屋で行われた壮行試合からの合流になったが(試合には出場せず)、打撃練習だけでファンを熱狂させた。東京ラウンドが始まると、テレビで、ラジオで、新聞で、インターネットで、彼の名前を目にしないことはなかった。

準決勝のメキシコ戦では、日本代表が追い詰められた。しかし1点ビハインドの九回裏、「塁に出てきます」と宣言して打席に向かった大谷が二塁打を放って出塁。吉田正尚レッドソックス)が歩くと、後を託された村上宗隆(ヤクルト)がサヨナラ二塁打を放って決勝へ。

その決勝では最後、大谷がチームメートのマイク・トラウトから空振り三振を奪って優勝すると、出来すぎたシナリオに、ファンは酔い、しびれた。

 
WBC決勝の米国戦で九回に登板した大谷。最後にトラウトから空振り三振を奪って優勝を決めた=共同
その9日後には、シーズンが開幕。マウンドには、当然のように大谷がいた。勝ち投手になれなかったが、アスレチックスを相手に6回を投げて、2安打、無失点、10三振。最初の5登板を終えた段階では、3勝0敗、防御率0.64。四球が多かったが、「逆に言えば、(課題は)そこだけ」と本人。 走者を塁に出しても、ホームには返さず、勝ちを重ねた。

5月に入って投手としては数字を落とし、狙われ始めたスイーパーの修正を試みる中で逆に調子を上げたのは、打者・大谷。5月は最初の25試合で、打率.229、5本塁打だったが、5月最後の2試合で3本塁打を放つと、そのまま加速した。

6月は打率.394、15本塁打。中でも圧巻だったのは、6月12日のレンジャーズ戦。7回に同点本塁打を放ち、延長12回には決勝2ランを放っている。2日後には、左中間へ453フィート(約138メートル)の特大本塁打。このときの打球初速は時速116.1マイル(約185キロメートル)を記録し、左打者による反対方向への本塁打の打球初速としては、2015年にSTATCASTが導入されてから、最速だった。

30日にはエンゼル・スタジアムの右翼席に493フィート(約150メートル)という衝撃的な飛距離の本塁打を放っている。これは自己最長で、正確な記録が残る2008年以降では、同球場の最長記録。エンゼルスの選手としても2008年以降では最長飛距離だった。

なお、今季は序盤から何度もサイクルヒット達成のチャンスが訪れ、7月17日までに7度。シーズン95試合目までに7度もリーチをかけたのは、ルー・ゲーリッグヤンキース)と並んで史上最多タイだった。

 
大谷は6月に15本塁打をマーク。特大のホームランを連発した=共同
ただ、やや手垢(てあか)の付いた表現を使うなら、好事魔多し。その頃、投手としては右中指の爪が割れ、投げるたびに、途中降板を強いられた。

6月21日のドジャース戦で7回を投げて5安打、1失点、12三振。ようやくスイーパーが本来の軌道に戻り、開幕当初の制球難も克服。大谷も試合後、「断トツで(感覚が)良かった」と話した矢先のこと。27日のホワイトソックス戦で、爪が割れた。

シアトルで行われたオールスターゲームには3年連続で投打で選出されたが、ホームランダービー、投手としての出場は、ともに辞退。相当、爪の状態が悪化していたようで、大谷はこの頃、ズボンのポケットに右手を入れたまま会見に応じ、決して患部を見せようとしなかった。

ようやく傷が癒えたのが、7月27日のタイガース戦。ダブルヘッダーの1試合目に先発すると、不安から解放された大谷は、水を得た魚のように躍動。大リーグでキャリア初の完封をマークすると、試合が終わって45分後に始まった第2戦では2本塁打を放ち、サイ・ヤング賞とMVP(最優優秀選手)をダブル受賞か? 60本まで行くのでは? との声が漏れ聞こえた。

ところが、その試合では、左脇腹がけいれんし、途中欠場。翌日のブルージェイズ戦でも本塁打を打った後にふくらはぎのけいれんで試合を退いており、いま振り返れば、ここにすべての予兆があった。

この頃大谷は、けいれんが続いたこと対し、「一番は疲労じゃないかな」と原因を口にしたが、こう続けている。「みんな、いっぱいいっぱいでプレーしてるし、休める試合と言ったらあれですけど、そういう試合はもうないと思ってます」

チームは、ギリギリでプレーオフに出場できるかどうか、争っていた。チームも満身創痍(そうい)の大谷にストップをかけることはなく、頼った。そんな中で重ねた無理がたたったか。

右腕の疲労で登板回避を申し出たのは、プレーオフ出場の望みが薄くなった8月半ばのこと。一方で打者としては出続けたが、8月23日の試合で二刀流復帰を果たしたその日、大谷は顔をゆがめた。本塁打を放った直後の回で異変を察知し、自ら降板。検査の結果、右肘内側側副靭帯の損傷が発覚したのである。

それからしばらく、治療方針を決めるまでは打者としては出場を続けたが、9月4日の試合前に右脇腹を痛めると、それが原因で残りシーズンの出場を断念。およそ2週間後、手術に踏み切った。

 
今季の球団のMVPなどを表彰するセレモニーに姿を見せたエンゼルスの大谷。ファンは総立ちで迎えた(9月30日、アナハイム)=共同
タラレバは尽きない。最初にけいれんが起きた段階で、休む選択肢はなかったか。検査を受けるべきだったのか。そもそも、開幕から中5日で投げることは無理がなかったか?

改めて今季を振り返ると、2月から7月までの6カ月と、8月以降の2カ月があまりにも対照的。手術という事実はあまりにも衝撃的で、序盤の半年が、遠い昔のことのように感じられる。

しかし、WBC優勝に始まり、60本を期待させるほど本塁打を量産し、投げては8月9日に10勝を挙げ、本当にサイ・ヤング賞とMVPを同時にとるのでは? と周囲はざわめいた。

ワールドシリーズが終われば、大谷はフリーエージェントとなる。今季の快挙がじっくり検証される間もなく、去就報道が過熱するだろう。

WBCで始まった大谷の2023シーズンが、どう人々に記憶されるのか? それは人それぞれだが、ここまで多くを巻き込み、話題を独占した選手のことを知らない。

9月30日、試合前に大谷は、チームMVPの表彰を受けた。およそ2週間ぶりに彼の姿を見た客席のファンは、総立ちで迎え、いつまでも拍手を送った。続いて行われた国歌斉唱のあとで大谷は観客の声援に応じたが、そこには互いに、なにか含みが感じられた。