バンブーズブログ

社会の大きな流れは新聞のトップニュースに掲載されます。 その情報を読み続けていくと数年先が見えてきます。それは怖いものなしです。

バンドの潤滑油だったHEATHさん急逝で遠のくX JAPAN活動再開

 YOSHIKIとToshlは安置室でも“すれ違い”
 
配信 2023年11月9日 16:15更新 2023年11月9日 19:15
NEWSポストセブン

 活動再開を期待するファンの声が悲鳴に変わった。2018年10月以降、バンドとしての活動がないX JAPANにあって、再稼働のキーマンといわれていたベーシストが急逝したのだ。そして彼の死は、深刻なバンドの現状を浮き彫りにした──。

《身内に不幸があり、自分の判断で急遽日本に戻って来ました》

 X JAPANYOSHIKIが、喪服姿の写真とともにこうSNSに綴ったのは、11月3日のこと。アメリカでの「栄誉賞授賞式」などの予定を、すべてキャンセルしての緊急帰国だった。向かったのは、東京・新宿区内のとある施設。無言の対面を果たしたのは、X JAPANのベーシスト・HEATHさん(享年55)だった。HEATHさんの知人が明かす。

 
「今年に入ってから、HEATHさんは体調の優れない日が続いていました。その影響で、今年は夏に開催されたYOSHIKIさんのディナーショーに参加した以外、目立った活動はしていませんでした。秋が近づいても体調は改善しなかった。そこで医師の診療を受けたところ、がんが見つかったんです。

 しかも数か所に転移していて、かなり進行していました。手の施しようがなく、残念ながら、がんの発見からわずかしか経っていない10月下旬までに帰らぬ人となってしまいました。がんを患っていることを、メンバーに知らせる余裕もありませんでした」

 メンバーに届いた突然の訃報は、X JAPANに生じていた亀裂を、強烈に浮かび上がらせた──。

「破壊と創造」を標榜するX JAPANにおいて、HEATHさんは重要な存在だった。1968年に兵庫県尼崎市の音楽一家に生まれたHEATHさんは、家族の影響で幼い頃から楽器を手にし、中学生の頃にはバンド活動を開始。X JAPANへの加入は1992年。もともとのベーシスト、TAIJIさん(享年45)との入れ替わりだった。

「加入当初、HEATHさんは大きなプレッシャーのなかにいました。見た目もよく演奏のテクニックも兼ね備えたTAIJIさんの後任は、HEATHさんでは務まらないという厳しい声が上がっていたんです。ですが、そうした雑音をHEATHさんは実力で黙らせました」(音楽関係者)

 ファンの支持を得たHEATHさんは、メンバーからの信頼も厚かった。2009年、HEATHさんは当時の所属事務所とのトラブルに見舞われ、X JAPANの韓国公演が延期になるという事件が起きた。

 
「このときトラブルの解決に向けて奔走したのは、YOSHIKIさんでした。彼はHEATHさんを“一緒にいたいと思える仲間”と公言し、その窮地を救ったのです」(前出・音楽関係者)

 一目置いていたのは、Toshl(58才)も同じだった。

「メンバーとはあまり外食しなかったToshlさんですが、HEATHさんとは公演終わりに食事に行くこともありました。個性の強いX JAPANのメンバーのなかで、彼は飄々としていていつも自然体でした。そんな彼との時間が、心地よかったようです」(芸能関係者)

 爆発的な人気を誇り、モンスターバント化していったX JAPANは、やがてメンバー間でのコミュニケーションが希薄になっていった。だがHEATHさんがいれば場が和み、会話があふれた。その彼をもってしても、ここ5年ほどはバンドに鳴り響いていた不協和音を修正できなかった。

 

◆「もう1度みんなで集まりたい」

 X JAPANは、幼なじみのYOSHIKIとToshlの2人で結成されたバンドだ。1989年にメジャーデビューすると、瞬く間に大ブレークした。人気絶頂の1997年にToshlが洗脳騒動で脱退したときに解散したが、2007年に再結成。だが、“健全なバンドのカタチ”からはかけ離れた状態が続いている。

X JAPANは各メンバーが個別にYOSHIKIさんが統括する会社と契約するという、バンドとしては異例の形をとっていました。

 ただ再結成後の活動を続けるなかで、ギャランティーの未払いなどのトラブルが頻発しました。YOSHIKIさんとメンバーの間で何度も話し合いがもたれたのですが、一向に改善されなかった。ToshlさんはYOSHIKIさんの対応に納得できず、2017年を最後に契約を更新していません。

 
 そのため、2018年に開催されたコンサートを最後にバンドとしての活動はなく、2人はここ5年間、一度も顔を合わせていない。やりとりは弁護士を介して行われています」(前出・音楽関係者)

 今年7月、YOSHIKIは2014年にレコーディングした楽曲『Angel』をアレンジし、X JAPANの8年ぶりの新曲としてリリースした。

YOSHIKIさんがメンバーに新曲のリリースを報告したのは、情報解禁の数日前でした。しかも伝達手段はメールで、“『Angel』を出します”という一方的な内容だったそうです」(前出・芸能関係者)

 X JAPANの名前を掲げて活動するYOSHIKIに対し、ほかのメンバーはバンド活動とは距離を置きソロ活動を続けてきた。近年では、YOSHIKIとToshlだけでなく、ほかのメンバー同士にも溝が生まれていたという。

 こうした現状でもHEATHさんだけは、「もう一度みんなで集まりたい」と周囲に漏らしていた。だが、その願いは誰もが想像し得ない形で潰えた。HEATHさんには酷なことだが、彼の死によって、メンバー間の亀裂は永遠のものとなってしまったかもしれない。

 冒頭、YOSHIKIがHEATHさんと対面した数時間前、その施設の安置室にはToshlの姿があった。

「HEATHさんの前で、2人が5年ぶりに再会することもありえました。ですが、メンバー同士がバッティングしないように、対面時間が細かく管理されていました。誰がどの時間に行くか、関係者らが“睨み合い”ながら決めたようです。バンドの潤滑油だったHEATHさんが亡くなったことで、X JAPANの活動再開は叶わないかもしれません。追悼公演も考えられない状況です」(前出・芸能関係者)


 11月6日、HEATHさんは多くの仲間に見送られながら荼毘に付された。その輪のなかに、YOSHIKIとToshlの姿はなかった──。

※女性セブン2023年11月23日号