11/2(木) 7:02配信
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羽田空港で見送りを受ける秋篠宮家の次女佳子さま=11月1日、東京都大田区の羽田空港
秋篠宮家の次女、佳子さまが11月1日、南米ペルー訪問のために出発した。今年は日本とペルーの外交関係樹立から150年にあたり、10日間の日程で同国を訪れ、現地の日系人らと交流する予定だ。南米は2019年に秋篠宮家の長女、小室眞子さんもペルーを訪問するなど、最近は秋篠宮家のメンバーが相次いで訪れている。日本から遠い南米の訪問を秋篠宮家が担っている背景には、皇室の「少子高齢化」がありそうだ。 【写真】再会の可能性は?佳子さまと眞子さんと伝説のハグの瞬間はこちら * * * 明るいグリーンのスーツを着た佳子さまが、東京・羽田空港の搭乗口にさっそうと現れた。エネルギッシュな笑顔は、その場の空気を活気づけてくれるようだ。 見送りに立つ空港の関係者らに順番にあいさつをする。居合わせた人びとから、「佳子さま」と歓声が飛ぶと、ほほ笑んで会釈をして飛行機に乗り込んだ。 皇室の海外の訪問先としては王室がある欧州各国が多いが、日本人の移民とその子孫が多い南米やアジアも頻度が高い。 特に南米は多くの日本人が移住し、汗を流して土地を切り開き、そして第2次世界大戦で強制収容されるなどした艱難辛苦の歴史を持つ。そしてそれぞれの国で深く根を張って生きている日系人たちの存在を、皇室は心に留めてきた。 各国を訪問した皇族たちは、現地の日系人と直接ふれあい、言葉を交わしてきた。上皇后美智子さまは、日本を懐かしむ高齢の日系人のために、日本から干菓子などを持参したこともあった。 ■「皇族の訪問は難しかった」 「南米の移民村へ 皇族・初の御訪問」 朝日新聞がそう伝えたのは1934年。ブラジルやアルゼンチン、チリ、ペルーを皇族が訪ねる予定だった。しかし、情勢が不安定だとして取りやめになった。
皇族が初めて南米を訪問したのは58年。昭和天皇の弟宮である三笠宮さまと妻の百合子さまだ。ブラジルに日本人が移住して50年という節目の年だった。 「戦前であれば、皇族のブラジル訪問は難しかったであろうが、実現したのは戦後の日本が民主化されたため」 ブラジル・サンパウロで執り行われた移民の慰霊祭での三笠宮さまの言葉は、南米への訪問が容易でなかった当時の状況を物語っている。 その後は、67年に当時の皇太子ご夫妻(現在の上皇ご夫妻)が、昭和天皇の名代としてペルー、アルゼンチン、ブラジルを訪問。78年のブラジルの日本移民70年の節目でも、ブラジルとパラグアイを訪れた。 82年には大学院に進んだばかりの浩宮さま(現在の天皇陛下)が、88年には秋篠宮さまが、それぞれブラジルを訪問している。 さらに95年には紀宮さま時代の黒田清子さんがブラジルを訪れたが、内親王の公式な外国訪問としては初めてのことだった。清子さんは99年にペルーとボリビア、2003年にはウルグアイ、ホンジュラスを訪れ、アルゼンチンに立ち寄っている。 2000年代に入っても、皇太子時代の天皇陛下や秋篠宮さまらが相次いで訪問しており、南米に対する皇室の思い入れの深さ、配慮の大きさがうかがえる。 ■現地の過酷な環境に耐えうる皇族 そんななか、過去10年ほどを振り返ると、南米の訪問を担ってきたのが秋篠宮家だ。秋篠宮ご夫妻は14年にペルーとアルゼンチン、15年にブラジル、17年にはチリへ。眞子さんも16年にパラグアイ、18年にブラジル、19年にはペルーとボリビアを訪れている。 ここしばらく、秋篠宮家が南米の国際親善を担っているのはなぜなのか。 皇室の事情に詳しい人物は、 「皇室の少子高齢化の影響です」 と指摘する。